『宮路一昭のミュージックファクトリー』(Vol. 5)
1999年10月26日更新

みなさ〜ん!またまた御無沙汰してました。
最近、いい人の宮路一昭です。(笑)
『ミューファクVol. 5』のお時間ですよ!。

10月23日に『ゴチ会』なる飲み会を開きました。
参加総人数が27人!
詳しい模様は、
さくまあきらさんの日記  (http://sakumania.com)
柴尾英令さんのホームページ(http://www.lennus.com) 
原口一也さんのホームページ(http://plaza24.mbn.or.jp/~haraguchi/html)
なかむら治彦さんのホームページ
(http://www.geocities.co.jp/HeartLand/3842/bn1023.html)
などで、詳しく楽しめます。(笑)

参加者の皆様、本当にお忙しいところお集り頂き有り難うございました。
第3回はどなたが主催なさるか、原口社長(第1回主催者)ともども
楽しみにしています。

前回は『ミューファク』は『音楽との出合い!』(激動の高校編)を中心にお話しました。
今思うと、本当に『ギターバカ!』だったんですね。(自分で言うな!)
今回は『音楽との出合い!』(上京編・Part 1)です。

1982年1月、
宮路は悩んでいました。
プロミュージシャンになることは、もう決め手いたのですが、
大学に行くか?いきなり東京に行くか?
大学だと『大阪芸術大学・放送学科』に行こうと思っていました。
(「世良公則&ツイスト」の出身大学だった!)
いろいろ悩んだ末、東京に行くことにしました。
理由は簡単でした。
『すぐにプロになりたい!』でした。

実は上京する前に父親との激突がありました。
宮路の実家は、『桃鉄』の宮崎の物件でお馴染み「チーズ饅頭」のモデル店の
『お菓子の菊水』で、宮路は長男なので、親としては『家を継ぐ!』と思っていたそうで、
『ミュージシャンになりたい!』と切り出したら思いっきりぶん殴られました。(笑)
現在『お菓子の菊水』は、8歳下の弟が家を継いでおります。(弟よ、感謝しています)
そこで約2ヵ月間、父親を説得する為に、親戚の人、楽器屋さんや学校の先生、
FM宮崎の人などが宮路の為に説得に来てくれまして、やっと親と約束をして、
東京に上京出来たのです。
約束とは、『4年で食えなければ、お菓子屋の修行に行く!』でした。

親には「大学に行かせたと思ってくれと!」と、頼み込み『武蔵野音楽学院』に
入学しました。

1982年4月、
京王線の仙川で、宮路の東京ライフはスタートしました。
学校は調布にありましたが、実は毎日通っていなかったのです。(お父さん、ごめんなさい。)
何をしていたかというと、宮路には日本人で好きなギタリストがいました。
名前は『北島健二』といいます。
当時は若手スタジオミュージシャンとして名前を売っていました。
現在は『フェンス・オブ・ディフェンス』のギタリストです。
どうしても、北島さんに会いたくて「世田谷区に住んでいる」の雑誌の情報だけで
「電話帳で調べれば分かるかな?」と軽い気持ちで電話帳を見たら、世田谷に
「北島」のページが10ページ位ありびっくりしました。(さすが東京だな〜〜!)
しかたなく、上から順に電話していき『北島健二』さんいらっしゃいますか?と、
電話しまくり約100件目で『北島健二』さんの親戚につながり、事情をお話したら
『北島健二』さんの実家の電話番号をGET!しました。(超〜〜〜!ラッキー!)
すぐに『北島健二』の実家に電話しました。

「もしもし、北島です。」

なんと、本人でした。
緊張した宮路は、宮崎弁なまりの標準語でお話させていただきました。(笑)
『是非、お手伝いさせて下さい!』
当時、北島さんは24才で宮路は18才。
いわゆる、ローディー(業界用語では「ボーヤ」。楽器を運んだりお手伝いする人)は
北島さんは「とっていない」と言われました。
でも、今度『新宿・ロフト』でライブをやるから「見に来てよ!」と言われ
1週間後、『新宿・ロフト』にいきました。
ライブは夜の7時からでしたが、昼の2時前から『新宿・ロフト』の前でまっていました。
ライブ活動は宮路も宮崎でやっていたので、リハーサルの時間からして
昼の2〜3時入りぐらいかな?と分かっていたからです。
北島さんのバンドのメンバーの方々が、2時過ぎぐらいから集まって来ました。
北島さんも3時前に登場されて、『この間、お電話しました宮路です。』と
宮崎弁なまりの標準語(笑)で挨拶してお手伝いしました。

リハーサルからライブ終了まで見て、巨大な壁を見ました。
当時を振り返ると『井の中の蛙、大海を知らず』の気分でした。

ライブ終了後、北島さんに打ち上げに誘われました。
そして、『ローディーをやってくれない!』と言われました。
1982年5月、宮路18才のことです。

と、今回の『音楽との出合い!』(上京編・Part 1)はここまでです。
次回の(上京編・Part 2)では、ローディー編をお送りします。

それではまた次回。
チャオ!

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