『宮路一昭のミュージックファクトリー』(Vol.19)
2001年10月15日更新
皆様、お元気ですか?
御無沙汰の宮路一昭です。
アメリカの同時多発テロからアフガニスタン空爆。
いったい世界はどうなってしまうのでしょうか?
前回のミューファクVol.18を更新してから、またまたいろんな事がありました。
*「ミスター・ギターのチェット・アトキンス」死去。
*浜崎あゆみのドラマ主題歌「Endless Sorrow」にリミックスで参加。
*「桃太郎電鉄X(ばってん)〜九州編もあるばい〜」の音楽作曲&制作完成!
*宮路の後輩でプロボクサーの日高和彦が9月24日横浜アリーナで、
山本大五郎選手相手に、この日の全試合中唯一のKO勝ち。
きばったね!日高。
宮路が作曲してギターを弾きまくっている、日高和彦のテーマ曲
『Victory Road -The Theme Of Kazuhiko Hidaka-』も入場の時に流れていたそうです。
流れていたそうです、、、、?
そうなんです。
この日高くんの大事な試合の日に宮路ファミリーは毎年恒例の「ディズニーお泊まりツアー」でした。
我が家では『家族の誰かの誕生日の前後はディズニーランドで過ごす!』が恒例になっていまして、
今回は丁度子供の誕生日が9月24日で試合の日と重なってしまい、試合に行く事が出来ませんでした。
なぜなら、9月4日にグランドオープンした「ディズニーシー」の「ホテル・ミラコスタ」に
6月の時点で予約をしていたのです。現在、ホテル・ミラコスタは3ヶ月先まで予約が一杯だそうです。
すまん!日高。
(デジカメで撮った「ディズニーシー」&「ホテル・ミラコスタ」を添付しておきます)
*ヴォーカリスト「中谷壮一」くんのプロデュース&ライブ演奏。
丁度、東京に上京されていた「テレビ長崎」の山本耕一さんもライブを見に来ていただきました。
*「ニャンダーかめん」の放映が9月末で終了。1年8ヶ月のオンエアー。
*我が巨人軍のセリーグ優勝!と、書きたかったけど残念ながら2位。
長嶋茂雄巨人軍監督が勇退。
時期監督に若大将(昔はこう呼ばれてました!)こと原辰徳ヘッドコーチが就任。
*やりましたね!佐藤琢磨の『ジョーダン・ホンダ』決定。
佐藤琢磨は、イギリスF3であの「アイルトン・セナ」の記録と同じ年間12勝のチャンプで、
3年振りの日本人フルF-1参戦ドライバーになりました。
来年のF-1は「トヨタ」と「佐藤琢磨」が楽しみです。
などなど、いろいろありましたが、
取り分け、「ミスター・ギターのチェット・アトキンス」死去は残念です。
それでは始めましょう。
宮路一昭の『ミューファクVol. 19』のお時間ですよ!
みなさんも経験ありませんか?
自分と同じ誕生日の有名人を探したりしたこと?
宮路の誕生日は6月20日です。
同じ誕生日の人は石坂浩二やニコール・キッドマン、そしてチェット・アトキンスでした。
今回のミュージックファクトリーは『映画音楽の巨匠10番勝負!』をお休みして、
『ギター王チェット・アトキンス』を偲んでの番外編です。
『映画音楽の巨匠10番勝負!』は次回またやりますね!
チェット・アトキンスと言ってもピンとこない人がほとんどだと思いますが、
そのギタープレーからは『ミスター・ギター』と言う称号を付けられた人です。
ギタリストでありながらRCAレコードの要職や若手の発掘や育成、
伝説の人になっていたレス・ポール(ギブソンのギターで名前は有名です)に再び光りをあて、
グラミー賞を二人で受賞したり、若い時はエルヴィスのサポートをし、
またジョージ・ハリソン等のミュージシャンにも尊敬されて、
音楽界に於いて中心的な活躍をされていました。
エルビス・プレスリーの「Heartbreak Hotel」でのプレーも名演です。
チェット・アトキンスの名前は知らずとも、多くの人が彼の職人芸とも言うべき
「ギャロッピング奏法」は何度も耳にしたと思います。
最近で有名なのはSMAP×SMAPのビストロ・コーナーで効果的に使われたBGMなどです。
トミー・エマヌエルとの競演のアルバム「Day Finger Pickers TookOver The World」の中の2曲目
「to“B”or not to“B”」がSMAP×SMAPに使われたものです。
宮路が好きな曲は1曲目のお馴染み「ボルサリーノ」やマーク・ノップラーとの共演アルバムの
「Neck And Neck」の5曲目の「SO SOFT,YOUR GOODBYE」です。
どれも名演なので興味がある方は是非、聞いてみて下さい。
「Mister Guitar」「Mr. Nashville Sound」などで名の知れたチェット・アトキンスは、
長年繰り返された癌の発作から、6月30日(土)の朝、ナッシュビルの自宅で77歳で亡くなりました。
簡単ですが、「チェット・アトキンス」の生涯です。
1924年 6月20日、本名チェスター・ボートン・アトキンスはテネシー州のルトレルで生まれる。
1933年 9才にして拳銃と引き換えに、初めてのギターを手に入れる。(ホントかな?)
1942年 テネシー州のノックスビルで、フィドル弾きとしてラジオに出演。
1946年 レッド・フォーレイのバック(サポートミュージシャン)で弾き始め、
その年彼の最初のシングル、GuitarBluesをリリース。
1949年 RCAがセッション・ギターリストとして、チェットを雇用。
1950年 ナッシュビルへ引越し、カーター・ファミリーのバックで演奏。
1953年 最初のアルバム、Chet Atkins‘Gallopin’ Guitarをリリース。
1955年 カントリー・ヒットのトップ40入りを果たす。
1965年 彼の最もヒットした、Yakety Axeをリリース。
1967年 Chet Atkins Picks the Bestでグラミー賞を受賞。
1968年 ナッシュビル・オフィス、RCAレコードの副社長に。
1973年 49歳でカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェィムの現存する最年少受賞者になる。
1981年 RCAを去り、アーティストとしてコロンビアと契約。
1993年 グラミー賞、ライフタイム・アチーブメントを受賞。
1996年 「Jam Man」でグラミー賞を受賞。
2001年 6月30日、77歳で死去。
彼の独特な、“フィンガー・ピッキング・スタイル”別名「ギャロッピング奏法」は、
過去50年間に多くのギターリストに影響を及ぼしました
中でも、宮路の大好きなギターリストの一人「ジェフ・ベック」もチェットに影響された一人だそうです。
そう言えば、「ジェフ・ベック」も昔はピックで弾いていたのに最近は、
指弾き(フィンガー・ピッキング・スタイル)がトレードマークになってます。
私事ですが、
最近、またギターを弾く時間(仕事も含めて)が多くなってきたような気がします。
もともとギタリストの宮路としては『初心』に帰ったような感じです。
でも、実はそれがこれからの「音楽家」人生の大きな深呼吸のような気がしています。
これからは、
音楽家(作曲家・サウンドプロデューサー)として「よりよい音楽」を追求して行きます。
その事を「チェット・アトキンス」の死去の後に感じました。
それではまた次回。
「チェット・アトキンス」に『合掌』